60歳からの生き方を考える




30歳で起業。
60代になった僕が
40~50歳のとき思ったこと

学校長 / Webおじさん



60歳からの生き方を考える

人生100年時代と言われている昨今。僕が40~50歳だったころ、60歳からの生き方を考えました。会社員であれば定年を迎える歳であり、そうでない方もひと区切りの時期となります。

モチベーションを維持しながら充実した人生を拓くためどうすべきか?

それは、これまで続けてきたWebデザイナーやフォトグラファーを基軸としたWebコンサルティングや職業人養成の仕事であり、仕事と暮らしの時間軸に境目を設けない「デジタルな仕事とアナログな暮らしの共存」を実現することだと思いました。

毎日を楽しみながら仕事をがんばる生き方。僕にとって仕事も暮らしもポジティブで楽しい遊びの時間。遊びとは楽しいもの。仕事と暮らしの共存は、心身の健康や幸福感、チャレンジ精神、創造力や仕事力アップをもたらし、遊び心で自然な自己成長を楽しむことができると考えました。



隠れ家のような大人の学校と
制作撮影環境を構築

30歳で起業。60歳を迎え、持続可能な充実した人生を拓くため、福岡都心で30年におよぶ大規模な学校展開をしてきた「FOAS本校」を個人授業の「FOASあとりえ校」現在地に移転統合。これは大きな決断でした。

そこは、川が流れ、見晴らしの良い、緑にかこまれたロケーション。福岡市内でありながら田舎感が漂う多々良川の河畔マンションに、こぢんまりとした制作撮影環境に新たに学校を併設。Webコンサルティング会社 STUDIO GECK のアトリエを少々改装した隠れ家のような大人の学校です。



仕事や暮らしは楽しむべきもの

縛られず、心地よい場所で心地よい事をする。オンやオフの切替がない仕事と暮らしの共存は、充実した時間と穏やかな心で社会と向きあえる仕事へのモチベーション。

もちろん、立ちはだかる壁や問題が全くないわけではありません。ここで重要なことは、他者のせいにしない。自分の問題だと捉え、決して誹謗や中傷はしないこと。これができなければ壁を越えられない堂々巡りの人生が待っています。そして、リスペクトする気持ちとポジティブに向き合う心をもつことです。

もう一つ、厄介なものとして、自分が作り出す不安や恐怖心があります。過度に広がる不安や恐怖心は心の片隅にぐぅーと押しやり、いまを楽しむ心で満たすことです。相談できる方がいれば話してみると良いでしょう。大きくなる重圧も軽減され、冷静さを取り戻すことができます。

つまり、ひとりで抱え込まないようにすること。本来、仕事や暮らしは楽しむべきもの。ほどほど、いい加減、という間合いも大切なようです。

微力ではありますが悩んだときは僕の所へ話しに来ませんか。



変わらず続けていくためには
常に変化し続けること

60代となったいま、僕の生き方にフィットするWebデザイナーやフォトグラファーという仕事。併設する STUDIO GECK のメイン業務として続けています。

デジタルな仕事とアナログな暮らしの共存は、いわばデジタルとアナログのハイブリット。仕事に遊びをみつけたり、暮らしに仕事のヒントがあったり、勤務時間や休日といった区別はありません。

物事の新たな捉え方や目線を変えた見方ができ、仕事への意欲と豊かな創造力や自由な時間をもたらしてくれました。

変わらず続けていくためには常に変化し続けること。すべては自分をチェンジすることから始まる。これは継続的な改善を怠らないということであり、永く続けるための心構えでもあります。



60歳を越え今も悠々とながれる
学ぶ心・好奇心・探求心

遊び心でいつも上機嫌。やりたい時にやりたい事をやり、前を向いて進む。無理をせず、ごく自然に日常の事として楽しみながら取り組んでいます。

人が100年を生きる時代。進化するWebデザイナーやフォトグラファーの仕事は、学ぶ心・好奇心・探求心を失わず、人生や心を豊かにするための、僕のライフワークであり、一日一日を大切に過すライフスタイルそのものです。

これまで、大きな傘の下には入らず独立を堅持。雨風はもろに受け、喜び幸せは享受し、まるで広大な原野を自給自足で生き抜くような路を進んできました。これからも自前の土俵で、仕事と暮らしを、存分に楽しみたいと思います。

自立系フリーランス(個人企業法人)であり、生涯現役の職業人として、いまも続けている将来への向き合い方を、学校でみなさんにお話ししています。これも40年近くへた今だから、できることかなと思っています。

ただいま多くの方々から、ご相談をいただいております。先行き不透明な時代、少しでもお役に立てば嬉しい限りです。




FOAS
Fukuoka Office Advance Seminar


STUDIO GECK
https://geck.foasnet.com


初めて学ぶ一眼カメラ
https://camera.foasnet.com


初めて学ぶWEBデザイナー講座
https://designer.foasnet.com


中高年のためのライフワーク講座
https://middle.foasnet.com


Philosophy 2023

1985年起業、昭和から平成、令和へ。お陰様で2023年、38周年を迎えました。これも皆様の叱咤激励、ご支援によるたまものと感謝しております。


学校長のいま(Webおじさん)

昭和のセピア色した高校カメラ部時代にカメラにめざめ、商業写真家として撮り続けた撮影環境をフィルムからデジタルに切り替え、ようやくフォトライターの完熟域に到達。

Webディレクターやフォトライターの業務経験をフィードバックしたプロ育成講座を指導。低リスクで可能な一人起業を支援するための「Webデザイナーやフォトグラファー特別講座」に注力。

また授業を担当するかたわら、撮影取材車を駆使した STUDIO GECK 業務企画「写真と映像で地域おこし」の撮影取材を全国で展開しています。


学校長のおもい

起業してそろそろ40年近くを迎える現在、Webコンサルティング会社を併設した産学連携スタイルのWEBデザインとカメラの学校を展開。これまで築きあげた人脈とSEOを主軸に、個人事業主やフリーランスの指針となる看板や有料広告は一切しない広告費ゼロの運営を続けています。


・先行き不透明な時代

新型コロナや人生100年時代となり、社会の価値観やビジネス環境は激変。会社や国が雇用を保証する時代から、雇用の流動化や自分で仕事を確保しなければならない、先行き不透明な時代へ突入しています。

すでに物価高騰や年金だけでは暮せない現実も待ち受けています。会社や組織で働きながら又は起業の場合も持続可能なキャリアプランを構築し備えることが必要です。


・個人の時代が到来

ネットやテレワークなど、場所にとらわれない社会の変化は、会社や組織に所属しない人にも収益を得る方法をもたらし、自分でビジネスをマネジメントできる環境も整ってきました。

ネットの世界は会社の規模や個人に関係なく対等です。個人でも独創的な手法や考え方で、大手とも互角に戦えます。むしろ顔のみえる個人の方が柔軟性や気配り、ゆきとどいた対応で強みを発揮し、成長を続けています。

そして、AIやチャットGPTなど急速な広がりをみせていますが、それは反面、人間らしい能力や個性、オリジナリティの価値が増すことを意味します。自分軸をもち、新たな考え方や自由な発想を生みだす個人の時代が到来しています。


・WEBのこと

収益を上げ成功している会社やお店はWeb環境を上手に構築し運用しています。

その中核となるWebデザイナーは、収益に貢献することを目的とした価値の高いWeb環境を構築し統括するWebディレクションという重要な役割を担っています。


・ カメラのこと

写真や映像が印象的で魅力あるWebコンテンツは閲覧ユーザーを上手に捉えています。

一眼カメラは訴求イメージにあわせ印象的な表現や正確な情報伝達ができ、細部まで鮮明で美しい写真や映像を実現できます。シャッターや絞り、露出を調整して新たな価値を創造するためのプロフェッショナルツールです。


・低リスクで可能な一人起業に最適

進化する次世代のWebデザイナーやフォトグラファーは、情報発信の中核であり年齢や性別に左右されない実力の世界。フリーランスやインハウス転職にも最適で持続可能なキャリアプランであり、私が長年続けている仕事です。

あなたの職歴や経験にWebとカメラのパワーをプラスすれば、将来を拓くあなた独自の強力な武器となります。

低リスクで一人起業や転職を支援する人気の「特別講座」や人生100年時代に備えた「中高年のための講座」も学校長による指導が大変好評を頂いております。

学ぶのは明日へのパワー!

セピア色のペダル紀行

二十歳の体験は
いまも色褪せることなく生きている



ある日、書棚の資料を整理していると、古びた写真が数点でてきました。
それは僕(Webおじさん)の若いころのスナップでした。

いまから四十数年ほどむかし、ちょうど二十歳前後の学生時代。自転車で単独日本一周をしていた時のものです。その瞬間、あのころの空気感が蘇りました。

高知県 室戸岬


いまの僕をささえる土台となった体験を、九州から一番遠い北海道でのエピソードを中心に、少し長くなるかもしれませんが、初めて話してみようと思います。



日本という国のスケール感やその土地の人たちを、自分のこの足と、この目で確かめたい。そんな湧き上がるような願望にかられ、ペダルを踏み、走りだしました。いまにして思えば、僕にとって勇気がいる、大きな第一歩でした。

北海道 網走刑務所 出所ではありません。念のため


いまのように便利なコンビニやナビもなく、ただ紙の地図と勘をたよりに、九州から四国、本州、津軽海峡を青函連絡船で渡り、北海道をまわる。しんがりとなる九州へ。

その途上、ビバーク(野宿)やユースホステルを中心に寝泊まりして走る。くじけそうになりながらも、ひたすら走る。お金が乏しくなれば現地で日銭を稼ぐバイトをして、また走る…。

襟裳岬では昆布とり、新冠の牧場では馬や牛の世話、日高の農場ではトラクター運転、仙台の松島では遊覧船の集客、利尻島や各地でユースホステルのヘルパーなど色々やりました。

当時のユースホステルは、低料金で外国人旅行者も多く、フレンドリーで活気にあふれ、ご飯のおかわり自由なところもあり、走るための貴重なエネルギー源でした。ネットやSNS、スマホもない時代ですから、重要な情報交換の場でもありました。

あの山の向こうは… どんな人と出会いが… 見知らぬ同志が友達に… ご好意で泊めてくれたり… 好奇心や出会いがめくるめく続く感動の毎日。

日本最北端の宗谷岬にたどり着いたときは、涙があふれました。 そして言葉で表せない到達感が、いつのまにか明日のペダルを踏む原動力となっていました。

北海道 宗谷岬 日本最北端


進む道は自分の意思で決め、暑さ寒さにさらされ、雨風をもろに受け、峠道の上りは試練と思い、下りはご褒美だと思い、人との出会い、親切や優しさに触れ、一日をやり抜いた充実感に満たされる。僕は長距離ランドナーだと。

日本という国に住む人々は、捨てたもんじゃない!

感受性が強い年頃だったので感動のしっぱなしでした。人を信じることから始める。このことを体感したのも、まさにこの時期でした。

学校は落第スレスレで、なんとか留年なしで卒業できました。僕のためにノートを用意してくれたり、授業での代返?ほか様々なご協力をたまわり、学友殿の皆さんには感謝の日々でございます。

幸運にも70年代の昭和は、そんな許容をもった人たちが多くいた時代であり、優しさのある社会だったのかもしれません。

二十歳の旅でえた貴重な体験や出会いは、とても深く心に沁みました。写真はセピア色になっても、何ものにも代えがたく、色褪せることなく、いまに続く僕の土台となっています。


時をへて… 昭和から平成 そして令和へ


人並みに就職をし、家族持ちとなり、三十にして立つ。

いまで言うフリーランサーとして、仕事と暮らしに奮闘努力の日々が続きました。「自転車で単独日本一周をしたことがあるんだぞ」と家族に話しても、本当かなぁ〜?という顔…。

気がつけば、長男は部屋に大きな日本地図をはり、おなじ道を書き記し「自転車で単独日本一周」。次男は50ccのモンキーで「四国八十八ヶ所巡礼や全国各地を旅歩き」。

僕は思わず、ニタッ!としたもんです。


あれから四十数年。子供たちは独立。健康で病気もせず、かみさんと仕事や暮らしを楽しむ日々をおくっています。

現在、社会的に独立したフリーランス(個人企業法人)として、ウェブデザイナーやフォトグラファーを養成する学校とウェブ制作をする会社を中心に、かれこれ40年ちかく営んでいます。日本一周したときの記憶や土地勘が役立つ業務企画「写真と映像で地域おこし」、全国各地をまわる撮影取材も続けています。

嬉しいことに、いまは二人三脚で、ペダルを踏んでいます。豊かな心を享受できることに感謝です。

人生100年時代。生涯現役の職業人であり続ける。これまで培ってきた仕事ノウハウを一人ひとりに伝えるため、隠れ家のような大人の学校を展開。学ぶのは明日へのパワー。

むかし、永遠のひげチャリと呼ばれ、いまは、Webおじさん。

僕の永遠のテーマである「デジタルな仕事とアナログな暮らしの共存」。心地よく、程々のペースで、いつも前を向いて進みます。

旅はつづく。新たなペダル紀行として、記憶に書き記していこうと思います。

余談ですが


発行部数が当時ナンバーワンだった週刊平凡パンチ。その取材班から「北海道のサイクル野郎」として取材を受け掲載された写真です。

スマホやネットはない時代。長旅を終え、何も知らず九州に戻ったら、途端に友人や知人、そして、知らない人からも沢山の連絡が入り驚きです。

お笑いぐさですね…。静かに始めた旅のはずが、地元では時の有名人。 : )

↑↑↑ 過酷な試練に耐え、博多から走破してきたサイクル野郎の表情にみえますか?

実はこのあと、金欠で日銭を稼ぐため、襟裳で昆布とりのバイト(住込み食事付)の約束があり、先を急いでいました。取材は有難いことなのですが、予想以上に時間をとられてしまい、少々困惑ぎみ?。いま思えば、粗野で無精な表情が取材班の訴求イメージにピッタリとはまり、良かったのかも。 : )

日焼けで顔や腕は真っ黒。服も自転車もボロボロ。中身は元気溌剌。靴はとうとう破れてしまったので、新品を履いています。やけに白いでしょ。


まだまだ、話題は事欠きませんが、今回はここまで。またの機会、長旅の続きがお話できれば…と思います。最後までお読みくださり有難うございました。



旅心 いまも悠々と流れる




きょうはめでたいぞ 乾杯だ!




WEBスペシャリスト養成塾のOB


本人制作によるウェブサイト

リニューアルオープン


仕事中だから もちろんノンアルです


いまや

十数年来の友人のようである


CHROME L SHAKE
https://chromelshake.com





バックナンバー


前回 ドメインサーバーチェンジ


前々回 リニューアルの相談





STUDIO・GECK
https://geck.foasnet.com


FOASあとりえ校
since 1985
Fukuoka Office Advance Seminar

自立系フリーランス



自立系フリーランス

特定の企業や団体、組織に専従しておらず、自らの技能を提供することにより社会的に独立した個人事業主もしくは個人企業法人である。(ウィキペディア)

訪ねて来たフリーランサーのFOAS生OBとWebおじさん

FOAS生OBのウェブサイト

 

Webおじさんはいつも言ってます。

Macとカメラ…。
そして、ほかのひとと、ほんのちょっと差がつくスキルとセンスがあれば、いつでもどこでも、仕事ができると。

himico

 

変わらず続けていくためには
常に変わり続けること

全ては自分をチェンジする
ことから始まる

since 1985 webojisan

フリーランサーは、自分が望む生活と仕事ができる自由を享受できます。そして、自己管理の冷静さも同居しています。

僕が続けている自由でポジティブな日々の仕事や暮らし(デジタルな仕事とアナログな暮らしの共存)を、WEBスペシャリスト養成塾でもお話しています。

これからフリーランサーをめざす方の参考となれば幸いです。興味や関心のある方はどうぞお越しください。





STUDIO・GECK
https://geck.foasnet.com



FOASあとりえ校
since 1985
Fukuoka Office Advance Seminar